8月29日(木)[朝から・・・]
正確には昨夜からです。鬼ババになってしまったのは(hahaha)
夏休み、残りわずか!だというのに、
言わなければしようとしない子供達にバクハツしてしまったのだ。
夏休みに入る前に「宿題と漢字の復習はしなさい」と
「自分でしなきゃぁ意味がないんだから、お母さんはクドクド言わないから」
と宣言していた。のが間違いだった(T∇T)ウウウ。
残り1週間前から「しなさいよ」というと返事だけは良い。
「昼からするから」「帰ったらするから」「ご飯すんだらするから」
「ガオ〜〜〜オ」
「約束を守らんとはどういうことぉぉぉ!」
「もうお母さんは、おらんものと思いなさい。勝手にしなさいぃぃぃー」
と言ったのが、どこでどう間違えたか「お母さんが家出するー」に・・・(@∇@)へ?
今朝、ラジオ体操に自ら飛び起きてサッサッと行った2人。
いつもの時間になっても帰ってこない・・・。
ええ〜?まさか、昨日の「お母さんが家出する」のを自分達のせいだと悔やんで
帰って来れないのかぁぁ?近くのおじいちゃん、おばあちゃんの家に行ったのかぁ?
あれこれ考えていると、普段と変わらず帰ってくる・・・。
「なにしてたん?」「ぶらんこ、お兄ちゃんは友達と話してた」「へ・・・?」
一人で何してたんだろ〜〜〜。朝から〜〜。(~∇~*)
朝ご飯の後、ビシッバシッッ容赦しなかったのは言うまでもありません。
おかげで、宿題完了。子どもたちものびのび遊んでる。(ように見える)
あとは「明日から漢字の復習する」と言ったことを覚えているかな?
8月27日(火)[親不知]
15日から18日まで、大鬼谷キャンプ場で
ゆっくりと、そして楽しく過ごした。
ただ、密かに歯痛と闘うこと以外は・・・(~ヘ~;)
てっきり、奥歯が虫歯になっているのだと思い
ひたすら歯磨きをして、痛みを紛らわしていたのだけれど。
帰った翌日、歯医者さんへ直行。
「親不知ですね」
「え・・・」(そーだったんかぁ)
そういえば、奥深く埋まったままの親不知があるんだった。
それが横の奥歯との間にポケットを作っていて、
そこに菌がはいって痛むらしい。
掃除をして消毒して薬をぬっておさまったら、
とりあえず抜かなくてもいいのだそうだ。
よかった、よかった・・・で、23日から25日の津谷キャンプ場。
忘れていたのが幸いしたのか、痛みは感じなかった。
なのに、帰ってきた途端・・・痛いのではなくシクシクする。
予約していたので、再び歯医者さんへ。
「抜きますか?」
「・・・もうちょっと様子みます・・・」
しばらく、この親不知とは付き合うことにしよう・・かな。
8月12日(月)[怪奇現象]
私のおばあちゃんの妹が亡くなってから、それは始まった・・・。
おばあちゃんの妹は、何か言いたいことがあると
おばあちゃんがいつも見ているテレビを使ってくる。
誰も見てない消えているテレビが、突然に電源がはいる。
見てる時は、チャンネル表示が突然ついたり消えたりする。
それは決まって、四九日だったり、孫が事故して大変だったり、
一周忌、初盆と思い当たるのだ。
それが無事おわった時に、お礼の挨拶でテレビがつく(笑)。
それ以外はピタッとつかないから不思議。
おばあちゃんの妹は、姉であるおばあちゃんが唯一人の肉親なのだ。
孫が赤ちゃんの時、ひとり息子さんを亡くして
お嫁さんは再婚して、全く別の人生を歩いていらっしゃる。
おばあちゃんの妹は、よく「人間、死んだらおしまいじゃ」と言ってたそうだ。
おばあちゃんの言う事を聞かないで好きなことをして、よく心配をかけていたそうだ。
だけど、やっぱり頼れるところに知らせに来る。
「勝手なことばっかりして。テレビつけるのはいいけど、電気代を払わんかぁい。」
なんて言いながら、9月のお彼岸にはひとり旅で妹の供養をするのを楽しみにしている。
おばあちゃんに、亡くなって会いに来てくれた時の合図は何か聞いておこうかな。
8月6日(火)[広島「原爆の日」]
57回目の「原爆の日」。
NHKスペシャルで、被爆した方が記憶の絵を記録しているのを見た。
どの絵を見ても、痛い。痛いと感じる。
体験した人ではわからない痛みだとは思うけれど、心が痛む。
ヤケドの痛み、死の痛み、それを見なくてはいけない痛み・・・。
長い間、助けられなかった女の子がどうなったか調べていた人。
名簿に名前が記されてあって、供養されているのだと安堵されていた。
娘がどのように被爆して亡くなっていったのか、絵を見て初めて知ったお母さん。
幼子をかばうようにして亡くなっていた母親の姿を見た人が、
「お母さんは強い」と、息子さんに伝えて涙している姿。
一瞬にして多くの人が死に直面した日。
日本には、日本人には忘れてはいけない事実なのだ。
昨年9月の同時多発テロでも、多くの人が一瞬にして亡くなった。
そして「正義」の名の元に「復讐」した。
真に人の死を悼むのであれば、同じ悲しみ、苦しみを
他に施さないのではないのだろうか。
そういう痛みを悔い止める事が本当の「正義」なのではないだろうか。
57年前の8月6日、あまりにもの「痛み」で
「正義」だとか「復讐」などと言う気力もなかったのではと思う。
それほど、「戦争」の傷は深いのだ。
二度と繰り返してはいけない事実なのだ。
8月1日(木)[“王さまのご命令”]
夏休みになると少年少女の非行犯罪のシーズン到来というか、
昔より子供が上手くしているのか、大人が甘すぎるのか、
やっぱり子供の様子が変わっていく姿をチラホラ見る。
元気ならいい、たくましく育ってほしいなんてもう何十年も昔だけど
髪をキンキンにしてたりする子を見ると、頑張れよって思っちゃう。
(おばさんに言われたかネェよって言われそうだけど)
(その昔、私も思われてたかもしれないけど(?))
3年前の新聞に、渡辺和子さんの時評がのっていて、
子育ての真っ最中である私にとって
とても大切なことが書かれてあったのを久しぶりに出してきて読んでみた。
王さまのごめいれい
と言って バケツに手を入れる
「王さまって だれ」
「わたしの心のこと」
小学校六年生女子の詩である。寒い冬の日の掃除当番。
冷たい水の入ったバケツに手を入れたくない。でも雑巾を
ゆすがないといけないのだ。「やだなぁ」と思う自分に向か
って、「王さまのご命令」と、ちょっとおどけて言い聞かせて
手を入れる。命令の主は、先生でも親でもない。゛私の心゛
だというのだ。
最近、この“心”という“王さま”の存在が忘れられ、その
“ご命令”が軽視、または無視されているように思われる。
自分の内なる声に耳を傾けることなく、自分のわがままを
抑えることができず、衝動的にキレてしまう青少年、感情
欲情の赴くままに行動に走ってしまう人間が多すぎる。
(中略)子供の中には、誰に言われずとも「王さまのご命
令」と自らに言い聞かせて冷たい水の中に手を入れる精
神力が備わっているのだ。子供をみくびってはいけない。
(中略)子供たちに、豊かな生活をさせたいと思う。物質的、
金銭的に豊かな生活を送らせる以上に、心に充足感のあ
る生活をさせたいものである。心の充足感というのは、子
供が真の自由を味わうことによって得られる。わがままに
打ち勝ち、衝動を自制することによって、してはいけないこ
とを我慢し、なすべきことを行う時、子供は、自分が自分の
主人公であって、環境の奴隷ではないことを発見した喜び
を味わうのである。(以下略)
改めて読み返すと、子供に対してだけではない、
大人こそ自分の内なる声に耳を傾けなければいけないのではと
反省させられる。
子供より精神力が劣っているような気さえする
暑い(言い訳)今日この頃なのだ(汗)。