Motorsportとの出会い
幼児期の洗礼
幼児期の環境がその人の人生に与える影響が大きいことがある。
私の場合は叔父が車狂な人で、私が2,3歳の頃から助手席に私を乗せて走り回ってました。その時にとても大きな事故にも会って、奇跡的に助かったということもあったのですがそのお陰?なのか
小学2年生の時にはホンダのモンキーに乗って町を疾走して警察のお世話になりました。(^^ゞもちろんその時は免許が要るなんて知らなかったのですよ。若気の至りでして・・・。

その後も叔父の英才教育は止まらず、4年生の頃には野球の練習後のグランド整備で軽トラックの荷台にトンボを持った友達を乗っけて私が運転してました。今から思うと指導員の大人も寛大だったなぁ。6年生になるとテレビのカースタントを見ては広場で練習してました。カウンターあてて曲がったり、アクセルターンやバックターンなど色々遊んでました。

 中学〜高校時代
小学6年生の時の卒業文集では将来「地球を救うために戦闘機のパイロットになってみんなを守る」と書いた。当時はノストラダムスの大予言が流行ってて、影響を受けやすくて飛行機好きだった私の将来の夢は決まっていた。中学2年生になると漫画の読みすぎで近視になり、パイロットの夢はあえなく潰えた。その頃友人が持っていた『AutoSport』誌が目にとまり、急速にF-1のファンになっていく。

高校はなぜか進学校に進んだ為、バイクの免許取得は禁止されていた。当時はF-1もテレビ放送はしておらず、ひたすら雑誌を読みあさる。大好きなドライバーはニキ・ラウダ、ジル・ビルニューブ、ロニー・ピーターソン、マリオ・アンドレッティetc.ピーターソンがモンツァで事故死した時なんかは、自分の机にロウソク立ててお祈りしてました。スエーデンのピーターソン夫人にもビル大友って人を通じて追悼文を送ったものでした。
サーキットを実際に見たのもこの頃で、まずは家族旅行の時によった富士スピードウェイ。雨の中疾走するマシンを見てビビリました。その後2輪の練習があって、雨の中バイクで突っ走る奴らはキチガイだと思った。

高校2年生で学校には内緒で自動二輪免許を取得。見事バレて停学・免許没収。しかし熱は冷めず、一人で鈴鹿サーキットまでレース観戦に行きました。2&4レースだったのですが、雨の中寒さと感動でずっと震えていたのを憶えてます。地元の岡山に中山サーキットがあることを知って、弟と一緒に電車で行きました。行ったのは良いけど入場料が払えず、近くの山に登ってこっそり見ようとしました。見事にバレてサーキット内には入れずに音だけ聞いてトボトボ線路を歩いて帰ったなぁ(笑)

高校卒業が近くなった頃、やっと買ったバイク(カワサキFX400)で鈴鹿まで行きました。当日はF-2のレースがあったのだけど、レース観戦以外に目的がありました。当時憧れの星野一義選手に会いに行くことです。もちろんアポなんかとってません。サーキットホテルのレストランに陣取って待ちました。当時F-3にデビューしたばかりの鈴木亜久理選手にサインをもらったりしてると星野選手がご家族と一緒に現われました。
「すみません!教えてください。レーサーになりたいのですが、どうすればいいのでしょうか?」今から思うとなんと無礼な登場の仕方だったかと恥ずかしい思いで一杯ですが、若かった!星野さんは元モトクロスの全日本チャンピオンだったし、カワサキのワッペンを貼った皮ツナギを着た私を見て「2輪でスピード感覚を養うのも良い経験になるよ。でもね、まづは高校をちゃんと卒業しなさい」と暖かいアドバイスでした。舞い上がった私は大学受験をパスして1年間浪人しながら、山に走りに通いました。不確かな自信もついてきて、山通いから2ヶ月後ついにレースデビューとなりました。
想い出の写真